ヒュペルボレア人

ギリシア神話の霧の彼方に、ヒュペルボレア人という伝説の民族が存在した。既知の世界の最北端、常識的には極寒の地であるはずが、太陽が輝き温暖で、神々に祝福された楽園に住むとされた人々である。本稿では、この謎多きヒュペルボレア人の伝説とその多様な解釈を、古代から現代まで辿るものである。

1. 北風のかなた – 名称とその定義

ヒュペルボレア人 (Hyperboreans)。その名は、ギリシア語の「ὑπέρ Βορέᾱ (hyper Boréā)」、すなわち「北風の神ボレアスのかなた」に由来するのが通説である。「運び越える」を意味する「ὑπερφέρω (hyperpherō)」に由来するとの説もあるが、いずれにせよ、彼らはギリシア人の地理的世界観の限界点に位置づけられていた。

2. 祝福された楽園 – 伝説の土地と人々

ヒュペルボレア人の住む地は、多くの場合、冷たい北風から人々を守るというリパイオス山脈の北にあるとされた。驚くべきことに、その地は極北にありながら温暖で、常に太陽が輝き、神々の祝福に満ちていると信じられた。太陽が昇り沈むのは年に一度だけ、という伝説は、明らかに北極圏内またはその周辺を示唆するものである。

この楽園に住むヒュペルボレア人は、特にアポローン神に寵愛されていたとされる。プリニウス、ピンダロス、ヘロドトスといった古代の著述家によれば、彼らは完全な幸福の中で1000年もの寿命を享受したという。

3. 神話の舞台として

ヒュペルボレアの地は、いくつかの神話的出来事の舞台ともなった。英雄テセウスが訪れたとされ、ピンダロスは、ペルセウスがゴルゴーンのメドゥーサと遭遇した場所を、伝統的なリビアではなくヒュペルボレアとした。また、アルゴナウタイがエリダノス川を航行中に、彼らの姿を目撃したとアポローニオスは記している。テオポンポスが伝え、アエリアヌスが保存した逸話によれば、かつて別の島の大軍(メロピスの兵士)がヒュペルボレア侵略を計画したが、彼らがあまりに強く、神々に祝福されすぎていることを知り、断念したという。

4. アポローン信仰との深き結びつき

オリュンポス十二神の中で、アポローンは唯一ヒュペルボレア人と関連付けて崇拝された神である。アポローンは冬の間をこの北方の楽園で過ごすと信じられていた。一部の古代ギリシアの著述家は、ヒュペルボレア人をデーロス島やデルポイのアポローン神殿の神話上の創設者とみなした。

デーロス島への奉納物の伝承は特に興味深い。ヘロドトスによれば、当初、ヒュペルボレアからの奉納物は二人の乙女(ヒュペロケー、ラオディケー)と五人の護衛によって運ばれたが、誰も帰還しなかったため、以後は国境まで運び、隣接する部族に次々と託す形で、最終的にデーロス島へ届けられるようになったという。それ以前にも、安産祈願の貢物として、アルゲーとオーピスという二人の乙女が神々自身に付き添われてデーロス島に来たとされ、彼女らは同地で篤く敬われた。デーロス島で発見され、これらの乙女に関連するとされる青銅器時代の墓は、紀元前1875年~1420年頃のものとされ、ミュケナイ文明期の交易や接触を示唆する可能性が指摘されている。

5. 古代の記述と所在地の諸説

現存する最古の詳細な情報源は、紀元前450年頃のヘロドトスの『歴史』である。彼はヘーシオドスやホメーロス(ただし『エピゴノイ』の帰属には疑問を呈す)など、より古い情報源に言及している。ヘロドトスは、紀元前7世紀の詩人アリステアースが、失われた詩『アリマスペイア』でイッセドネス人への旅を記述し、その先に一つ目のアリマスポイ人、さらに黄金を守るグリュプス、そしてその先にヒュペルボレア人がいると記したと伝える。ヘロドトス自身は、ヒュペルボレアを北東アジアのどこかにあると考えていたようだ。

しかし、ヒュペルボレア人の所在地に関する見解は、古代の著述家によって大きく異なる。

  • トラキア/ダキアの北: ホメーロスはボレアスをトラキアに置いたため、ヒュペルボレアはその北、ダキアにあるとされた。ソポクレス、アイスキュロスなども同様の見解を示す。

  • 黒海周辺: ヘカタイオス(ミレトス)はリパイオス山脈を黒海に隣接すると考えた。

  • ドナウ川付近: ピンダロスはボレアスの住処、リパイオス山脈、ヒュペルボレアをドナウ川近くに置いた。

  • アルプス以遠(ケルト人): ヘラクレイデス・ポンティコスとアンティマコスは、リパイオス山脈をアルプス山脈とし、ヒュペルボレア人をその向こうに住むケルト人の一派(おそらくヘルウェティイ族)とした。

  • スキタイの北: アリストテレスはリパイオス山脈をスキタイの境界とし、ヒュペルボレアをさらに北とした。

  • ブリテン島: ヘカタイオス(アブデラ)はヒュペルボレアをブリテン島と同定し、そこにはアポローンの壮大な聖域と球形の神殿(ストーンヘンジとの関連も指摘される)があると記した。プセウド・スキュムノスもブリテン島を示唆すると解釈されることがある。

  • 北海/北極圏: ポンポニウス・メラは北極圏付近、プトレマイオスとマルキアノスは北海(「ヒュペルボリアン・オーシャン」)に位置付けた。

  • ウラル山脈方面: ストラボンなどの記述に基づく地図では、ウラル山脈周辺に位置付けられることもある。ストア派のヒエロクレスはヒュペルボレア人をスキタイ人、リパイオス山脈をウラル山脈と同一視した。

このように、ヒュペルボレアの位置は、地理的知識の拡大と共に、より遠方へと移動していった側面も持つ。

6. 伝説の人物と身体的特徴

ヒュペルボレア人に関連する伝説的な人物として、まず癒し手アバリスが挙げられる。ヘロドトスが最初に記述し、プラトンは北方の医師、ストラボンはスキタイ人とした。また、ボレアデスは、北風ボレアスと雪のニュンペー、キオネーの子孫とされ、ヒュペルボレアに最初の神権政治による君主制を築いたとされる。アエリアヌスやディオドロスによれば、彼らは身長約6キュビット(約2.7m)または10フィート(約3.0m)の巨人であり、王や神域の管理者として世襲で統治したという。

身体的特徴に関する古典的な記述は、このボレアデスの巨人伝説を除けば乏しい。3世紀の文法家アエリウス・ヘロディアヌスや6世紀のステファノス(ビュザンティウム)は、神話上の一つ目巨人アリマスポイ人がヒュペルボレア人と外見が同一であったと述べている。カリマコスがアリマスポイ人を金髪と記述していることから、ヒュペルボレア人も金髪であった可能性が推測されるが、アリマスポイ人がヒュペルボレア人であったか自体に議論があり、確証はない。

7. 歴史的・後世の多様な解釈

ヒュペルボレア人の伝説は、古代以降も様々な形で解釈され、利用されてきた。

  • 古代のケルト人同定: アンティマコス、ヘカタイオス(アブデラ)ら6人の古代ギリシア著述家が、ヒュペルボレア人を北方のケルト人と同一視した。地理的理由に加え、ケルト人の饗宴好きや黄金好きの評判が影響した可能性もある。

  • 17世紀スウェーデンのゴート主義: スウェーデンの思想家たちは、スカンディナヴィア半島こそ失われたアトランティスであり、ヒュペルボレアの地であると主張した。「白夜」の現象もこの説と結び付けられた。

  • 比喩的用法: ニーチェは、日常的な価値観から隔絶した自身の共感者を指して「ヒュペルボレア人」と呼んだ。

  • 言語学: アメリカ議会図書館分類法では、北極圏の言語群(イヌイット語など)を指す包括的なカテゴリ名として「Hyperborean Languages」が用いられる。

  • インド=ヨーロッパ語族極北起源説: B.G.ティラック(1903)らは、インド=ヨーロッパ語族の原郷を極北、すなわち古代のヒュペルボレアとする説を提唱した。この説は、後にソ連の学者やロシアの民族主義者にも影響を与えた。

  • 近代の秘教思想: H.P.ブラヴァツキー、ルネ・ゲノン、ユリウス・エヴォラといった思想家たちは、人類の起源を極北のヒュペルボレアとし、そこが黄金時代の霊的中心地であったと説いた。ブラヴァツキーはヒュペルボレア人を霊的な「第二根源人種」と位置づけた。

  • その他の現代的解釈: ヘロドトスの記述に基づきシベリアや新疆ウイグル自治区とする説(J.D.P. Bolton, Carl P. Ruck)、古代宇宙飛行士説(ロベール・シャールー)、ロシアを現代のヒュペルボレアと見なす地政学思想(アレクサンドル・ドゥーギン)など、現代においても多様な解釈が存在する。

8. 青銅器時代の起源説 – 考古学からのアプローチ

近年、考古学者のクリスチャン・クリスチャンセン、歴史家のティモシー・ブリッジマンらは、ヒュペルボレア神話が青銅器時代の交流や交易、特に琥珀交易の「神話的遺物」である可能性を強く示唆している。

その根拠として、デルポイのアポローンとバルト海の太陽神との関連性、デーロス島への奉納物の伝達ルートが青銅器時代の琥珀交易路と重なる可能性、ミュケナイの王墓やブリテン島、デルポイ、デーロス島の聖域からバルト海の琥珀が出土している事実、そして前述のデーロス島の「ヒュペルボレアの乙女の墓」とされる遺跡が青銅器時代中期~後期のものであったことなどが挙げられる。これらの事実は、ヒュペルボレア伝説の根底に、遠く北方の地との現実的な接触の記憶が存在した可能性を示唆しているのである。

結論

ヒュペルボレア人の伝説は、単なる空想の産物ではない。それは古代ギリシア人の世界観、北方への畏敬と憧憬、アポローン信仰、そしておそらくは青銅器時代にまで遡る遠隔地との交流の記憶が複雑に織り交ざって形成された、多層的な物語である。時代と共にその姿を変え、哲学、神秘主義、政治思想、さらには現代のポップカルチャーに至るまで、多様な解釈を生み出し続けてきた。北風のかなたに住む幸福な民の伝説は、古代世界の精神性を探る上で、そして人間の想像力が地理的・文化的な境界を越えていく様を考察する上で、今なお尽きることのない魅力を放っているのである。


参考文献

https://en.wikipedia.org/wiki/Hyperborea

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